hagisonのブログ

2000年頃、統合失調症を発症。現在、妻と娘2人と生活中。

なぜ?

薬を飲みながら仕事に通うのは、最初はとても辛かった。
この手の薬は独特のダルさや眠気がある。あと頭の回転も鈍くなってる気がする。

薬を飲んでる自分を受け入れるようになるには時間がかかる。
自分が精神薬を飲んでることが許せなかったり、自己嫌悪に陥る。
気を抜くと気合でなんとかなるんじゃないかと、すぐに統合失調症をなめてかかる。自己判断で薬を飲むのをやめて、状態が悪化したりもした。

自分の場合は、音に敏感でどれが本当に話されていることで、どれが幻聴かが全くわからなかった。だから、全てを一括りに現実に話されてること決め込んでいた。

何が現実か。
現実はどうなってるのかわからない。混乱してわからなくなった状態はとても辛い。
でも、とりあえず頭の中に聞こえてる声は現実のものと決め込んでた。

その状態で仕事もしていた。周りの人やクライアントには多大な迷惑をかけ続けてると思います。

今、仕事ができて、家庭も持てる状態は想像が出来なかったし、奇跡だと思う。

でも、1人でいる時いつも決まって考えることは、
何でだろう?
どうして?
なぜ?
そんな自問自答ばかり。



統合失調症だけど。

2000年頃に統合失調症と診断されて、僕は職を失った。30歳になる直前だった。そして、田舎の親が迎えにきて東京の一人暮らしの宿を引き払って実家に帰った。それまで精神病なんて、気合でなんとかなると思ってたけど、現実はまるで違ってた。まず、人が怖い。怖すぎた。外に出るのなんて深夜にタバコを自販機に買いに行く以外怖くて無理だった。地元の友達にも会えない。誰にも会いたくない引きこもりの生活。舌がもつれてうまく話せない。薬の副作用だ。薬で顔はむくんでいって、次第に体重も増えてきた。誰かの話し声が聞こえると全部、自分の悪口を言ってると完全に思いこんでた。テレビも見れなかった。テレビも自分の悪口を言っていると思いこんでたから。被害妄想と自己嫌悪の波は自分1人でふんばれないぐらい重かった。同居していた両親は悲しみ、母親は時々泣いていた。でも、希望はあった。捨てなかった。また、すぐに東京に戻って仕事がしたかった。僕の仕事はWebのデザイナーだった。そして、奇跡的に半年後に東京に戻ることになった。親はまだ早いと心配していたが。

それから14年後の今、僕は東京で働いてる。しかも友人と作った会社でそれなりの地位も得ている。何より結婚して2人の娘の父親である。相変わらず精神科に通いながら、大量の薬を飲んでるけど、普通に生活できてる。これは奇跡だと思ってる。両親をはじめ支えてくれた人達には感謝してもしきれない。僕はこれから自分の体験を通して感じたことを文章にしていきたいと思います。