本願他力
自分の努力が足りないのだ。もっと、自分自身がちゃんとしないと。
自分の行いが悪いから、こんなことになってるのだもっと良い行いをしないと。
いつもこんなんだから、ダメなんだ。もっと考えて行動しないと。
こんな風にいつも考えてました。
「自力」
でなんとかしてやろうと、それは間違ってはいないのですが、ただ、自分の器では、なんともならないことが多いものです。
「自力」
でなんとかしようとするのをやめてみよう。そうゆう風に考えだしたのは、親鸞に関する著作をいくつか読みだしてからです。
「他力」
初めて聞いたとき、なにか現実逃避をしているような、生半可な考えではないのか?
そんな風に誤解をしていました。
浄土宗・浄土真宗でいうで「他力」とは、「他」とは阿弥陀如来を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。「他力本願」の「他力」はこの意であり、他人の助力などの意ではないみたいです。
我々は、煩悩具足の凡夫です。ただ、至心に阿弥陀如来の本願力にすがればいいのでしょう。
たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。
この弥陀の第18願ほど素晴らしい誓いはないと思います。