歎異抄
善人なおもて往生をとぐ、言わんや悪人をや
これは、親鸞が弟子の唯円に語ったとされる「歎異抄」の中の有名な一節です。
悪人すら極楽浄土に行けるなら、善人は、なおさら必ず極楽浄土に行ける
これなら理解できるのですが
善人すら極楽浄土へ行けるのだから、まして悪人なら必ず極楽浄土にいける。
これは、それまでの仏教の考えとは大きく変わった、かなり革新的な思想です。
鍛錬に鍛錬を重ね修行を積み、良い行いし、良い思考を持って、段々、仏に近づき、「自力」で極楽浄土へ往生する。こんな考えが当時の普通でしたが、それでは、「自力」では多額のお布施を出来ない普通の人やただ、毎日を食うために盲信的に生きている人は救われないではないか。
それは、おかしいと考えたのが、法然や親鸞の浄土教の人たちです。
極楽浄土の宿主である阿弥陀如来は公平です。極楽浄土に生まれたいと至心に思った人やないし十回でも、阿弥陀如来の名号を唱えたものは、必ず極楽浄土に往生させると誓ってます。
「自力」でなんとかできる、いわば出来の良い人を救うためではなく、何も出来ない「他力」にすがるしかない、普通の人いや悪人がすがる教え、それが浄土真宗、親鸞の教えではないでしょうか。
自分はこの教えで、少し救われました。